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自律への長くて遠い道
〜生き方の原理の大転換…〜

2004年4月



一昨年から会社の就業制度が変わり、私は裁量労働扱いとなった。つまり業務遂行の方法(場所や時間)は自分で決めてよいということである。言い方を変えれば「自律に踏み出しなさい」ということか。一見とても自由で楽に感じられる。しかし勤務時間拘束からの解放感を味わえたのは最初の数ヶ月…。やがて通常の勤務形態にはなかった体験が私を待っていた。

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それはセルフマネジメントの難しさである。そして「もしかしたら自分は、今まで時間の使い方、大袈裟にいえば〜生き方〜について真剣に考えたことがなかったのではないか?」という疑問すら湧いてきた。よくよく考えてみると、人生のほとんどの時間について、学校や会社という疑いようのない「枠」もしくは「上位概念」があって、それを基準に生活を組み立てて来た。
そう、いつも自分の外に、場所や時間を規定する決まり事やルール、通念があり、それに従って合わせてきたわけである。確かに未成熟な人間(子供)には教育上必要なことと思えるし、個が好き勝手のままでは社会集団を円滑に営むことが困難になることも多いだろう。仕方のないこと、またそういうものだと思ってきた。個人的好悪・信条とは無関係に合わせることが大人の賢さであるとも思った。また合わせさえすれば身の安全やささやかな仲間感覚が無条件に保障されるわけで、「長いものには巻かれろ」には窮屈ながらも相応の「美味しさ」があるのだ。

しかしである。人は長い時間置かれた環境に対して適応しようとする。さらにはあたかも自分が考えてそうしているような錯覚も起こりそうだ。そして恐ろしいのは、いつしか自分の意志とか信念とかは意識の奥底に沈んで、自分で行動しているつもりが、実は常に他律的(受け身=理由が外来的)であることに無自覚になることだ。当然それは行動のみならず、ものの見方や考え方を歪ませることにもなろう。
ルールはどうなのか、過去はどうだったのか、他者はどうなのか、世間はどうなのか…という詮索が先に無条件に思い浮かぶ。自分ではない誰かが示した「答」を先に捜そうとする。それは常に意識下に始まって、意識上にあらわれても、本人も周囲もその思考の正当性に疑いを持つことがない。そこでは何が本質で大事なのか?に論点が至ることはまずなくて、「適当な落としどころ」を探るような思索が続くのだ…。旧長銀の破綻を看取ったという丸瀬遼氏は著書「腐った組織をどうやって救うのか」で、これを「コンセンサスの誤謬」または「組織の総意という魔物」であると喝破した。なるほど…。

話が少しそれてしまった。

自分としては自然に自己管理ができるものと思っていた。しかしいざそうなってみると想像以上に難しい苦しい。「これでいいのか?」といつも不安である。意識していないと、怠惰という悪魔の囁きが頭の中をかすめ、簡単に負けそうになる(正直に言いましょう…結構負けてます。ただ負け越してはいないと思う…たぶん)。
企業経営の中で「自律」というキーワードが語られるようになって久しいが、その実行の難易度は相当に高い、というのが今の私の実感である。「さあ今日から自律してください」と言ったところで、途方にくれる者、ただ怠け者になってしまう者が大半ではないのか。その理由のひとつが先に述べたような「他律的人間」を是として戦後50年以上かけて(否もしかするとそれ以上??)再生産してきたことにある。戦後の復興〜再興期(工業化)には決められたことに従順で忍耐強く実行する人間が必要だったというが、社会システム(教育、就労形態、生活様式)は、手直し程度の変更はあっても、今もその時代の延長線上のままである。

世の中の大半の人間が実は「自律した生き方」を原体験に持っていない。いったいどういうことが自律なのか理念はあっても行動で示せない。仮に自律した、またはしようとした人間がいたとして、おそらくそれは「変人」、「特別な存在」、時には「危険な存在」というレッテルが貼られるだろう。また社会もそういった存在を普通のこととして受け入れ活かすことができない。そう、高尚に自律を語るのは簡単だが、残念ながら受け入れられる状況が今の日本人の多くにはない。
相手は今日までに形成された「日本人の生き方の原理」そのものなのだ。その大転換ができるとしても、同じような年月がかかると見るのが妥当なのか。「他律から自律へ」というのは天動説が地動説に変わったくらいのインパクトがあるはずで、その隔たりの大きさを感じ取れている人は実は少ないと思う。だから簡単に「自律せよ」と言えるのではないかな? この辺りの話はP・F・ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」にあるが、社員が本当に自律すると、従来の企業組織原理が全く機能しなくなる。破綻してしまうのだ。

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自律。調べてみたら仏教などはこれを大テーマにしているようで(今更ながら自分の無教養が恥ずかしい)、しごく根元的な命題なのだなあ、と痛感。たった二文字なのだけれど、そこへ至る道は長くて遠い

菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

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