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40才以上は頑張り禁止
〜試されるは大人の知力〜

2006年2月



先日、急逝した友人の自宅に焼香をしに行きました。彼は学生時代の音楽仲間でした。しかしここ10年近く音信を交わすこともなく「便りがないのは元気な証拠」と特に気にかけていなかったのですが、昨年末に突然亡くなったという知らせが届きました。

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こういう時世なので、亡くなった理由をいろいろ想像してしまったのですが、しかし本当に予兆のない突然死だったそうです。まだ43才でした。奥さんのお話を伺うと、彼は相当に仕事に入れ込んでいたようで昼夜なく働いていたそうです。そしてたまに休みがあっても、やっとできた一粒種の男の子と遊ぶ、いいお父さんで、本当に休みをとっていなかったらしい。奥さんも、ちょっと頑張り過ぎじゃないか、と心配してもう少し手抜きしてもいいんじゃない、といった言葉もかけていたそうです。

本当のところは本人にしかわからないことでしょうが(実は身体の不調を隠していたのかもしれない)過労死に近い状況だったのかもしれない。自分も、以前に過労が原因の病気で倒れて死にかけたことがあっただけに、何か彼に言ってあげられることがあったかもしれないと思うとやりきれない思いで胸が痛みます。
そうなんだよ。40年も生きたらさ、その先はアクセルの踏み方を変えないといかんのさ。もちろんあちこち故障も多くなるから手入れも必要だし。

生物学者の本川達雄氏によると、ほ乳類の心臓は身体の大小を問わずだいたい15億回鼓動を打つと寿命を全うするという。人間の場合、年齢に換算するとそれは 40才くらい。人間の寿命がそれより長くなったのは、生活環境や食品、医療の進歩による人工的な所作だということらしいです。つまり生物学的には人間40 才以上は、おまけの人生だという話です。言い換えれば40才を越えて生きていることは「生物学的に無理がある」わけで、40才越えた人間がケアなしにただ頑張りすぎるということが、何をもたらすかは容易に想像できる。

そうは言ったって頑張らざるを得ない現実があるじゃないか。たしかにそうかもしれないけど、そこは大人の知力。重要なのは頑張ることじゃなくて、誤解を恐れず言えばいかに「正しく」手を抜くか。それはただ効率性・合理性を求めることとは違う。本質は何か、大事なのは何かを見抜く眼力なんじゃないかな、と思う。難しく言うとそういう力を「隻眼」とか「慧眼」という。頑張ることが無条件に貴く意味あるのは30代まで。40以上は頑張っちゃいかん。それは当人にもまわりにも有害だ。頑張らず、いかに同等、または欲を言えばそれ以上の結果を出すかが試されるのだなと思う。難しい課題だけどね。

疲れたから今日は休み!って言っていいんだ。それはズルでもナマケでもない。自然なことなんだ。そうしたところでお前はナマケ癖が付くような人間じゃないし、万が一癖が付いた所でたいした問題じゃ無い。だってそもそも無かったはずのおまけの人生なんだから。
ヤツにそう言ってやりたかった。もっとも頑固で、生真面目な男だったから、聴く耳持たずだったかもしれないけれど。彼の遺影を眺めていても現実感が全然なくて「冗談冗談。びっくりしたか?、こら!ハハハ」と彼がひょっこりドアのむこうから出てきそうに思えてなりませんでした。

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彼はビートルズが大好きで、全曲歌えるのが自慢でした。
むこうでジョンレノンに会えているといいな・・・。

菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

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