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望まない未来
〜痩せてゆく想像力〜

2007年1月



日本はいまだ「景気が緩やかに拡大している・・・」そうです。個人的には実感ないままですが。しかし一方では、企業や様々な団体において、事件化するような不祥事が後を断ちません。むしろ増えている気さえします。先日の土曜日、朝刊の三面を見てびっくり。なんと見開きの下段1/3が全部「お詫び広告」で埋まってました。また目を転じれば、衝動だけで身近にいた子供を投げ落とす、しつけと称したわが子への虐待、妹や夫を普通では考えられないような殺め方をした陰惨な事件があったりと、この国はいったい何がどうなっちゃたんでしょう、と不安な気持ちになります。

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企業、団体の不祥事も殺人事件も、昔からあることで、起きれば「信じられない出来事」として世の人々を驚かすのが常でしょうが、近年続くこういった事件は、過去のそれとは決定的に違う印象があります。それは過去の事件の多くは事の大小はあっても、どこか理解可能な気がするんです。悪意や怨恨などがあり、行為があり、結果事件化する。当事者は「こんなことしたら大変なことになるかも・・・でもかまうもんか」と思いながら(いわゆる未必の故意)、または明らかに確信して行為に及んでいるケースが多かったのではないのでしょうか。

反社会的、反人間的な行為ではありますが、「そうか、根っからの悪人だったのか」とか「不遇が招いた悲劇なんだろうか」といった、一応の想像、理解ができます。しかし昨今の事件では、「なぜそんなことをしたのか?」という動機が非常に想像しにくい。そしてもしかしたら当事者が本当の理由をわかっていない可能性がある。気がついたら既に取り返しが付かない状況があって、事実の隠滅を図ろうとしたが、できるはずもなく発覚した。特徴的なのは隠滅という行為で、もしかしたら先の不都合な事実だけであれば「事故」や「過失」であったかもしれないものが、隠そうとしたことで、深刻な「事件」になってしまった。

また気になるのは、このところ耳目を集める事件の当事者に年齢の関係がないこと。若年者であれば「未熟な精神性」、「経済的弱者」などがが理由になるのもわかるのですが、分別があるはずの大人、しかも学歴もあり社会的な成功も手にしていると見える者までがなぜそんなことをするのか。テレビや新聞などの報道では、甚大な金銭の得失、人間関係の蹉跌、社会的信用の失墜を恐れて、といった「もっともらしい動機」が語られます。確かにそれらが主因かもしれません。立ち現れる誘惑や不都合な状況に負けてしまう精神性の低さを指弾する声もあるでしょう。

しかしそれ以上に、想像力の低下、欠落という事象がこの状況を後押ししているように思えてならないのです。自分の行為が、この後どういう事態を引き起こすのか。それによって自分や周囲にどういう影響があるのか。少し考えれば、想像できれば、普通なら思いとどまるものと思うのですが。しかしブレーキがかからない。どうなるかなんて考え付かない。差し迫る状況にただ思うまま、または何も考えず対応した。アタマが悪いわけでもなく、モラルが低いということでもなく、なぜか衝動を停める術(行動の帰結への想像)を持ち合わせていなかった。そう感じます。

「全てがお手軽で、見て分かりやすい方が良いという風潮は危険に思う。見たままスグ分かるということは、見る側の思考停止(考えない)につながりかねない。これがやがて想像力の「欠損」を引き起こすのではないだろうか(中略)効率追求の結果が「考えない人」の大量生産ではあまりに悲しい。」
7年前に書いた文です。望まない未来が既に始まっているということなのでしょうか。

昨年の暮れ、たまたま見ていたテレビに映ったある絵に釘付けになりました。2005年に31歳という若さで急逝した画家石田徹也さんの絵です。いままで見た事がないような絵。ひとことで言うなら「コワイ」。見えない閉塞感や絶望感、人が人でいられなくなりつつある社会を日常の風景の中で実体化する画風が衝撃的で、正直、救いがない悲しい絵ばかりです。しかし彼の目にはそう見えたのでしょう。

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日本人が壊れかけているという警鐘がありますが、その根底に「痩せた想像力」がある。想像力を育てない、奪う、または使わなくて済むように仕向けている状況がある。それらが変わらない限り、事態の深刻化は止まらない。そう私には思えてならないのです。

菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

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