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意思で決めるということ
〜気付いた者の義務〜

2009年11月



最近思うようになったことがある。
それは、気付いた者にはそれをなす義務がある、ということだ。
神様は(・・・いるとすれば)なすべき課題を、
その人に見せていると言ってもいいだろう。

で、おそらく、気付かない、もしくは見ぬふりをしても
繰り返し繰り返し、その者の前に立ち現れるらしい。
厳しい言い方をすれば、一時ごまかせても
逃げ切れることはけしてない、と思うべきなのかもしれない。
「ほら、まだやってないでしょ?」と。

◆◆◆◆◆◆◆◆

少し前のことだ。

職場の給湯室にペットボトルや空き缶用の小さなごみ箱があった。
これは誰かの手作りで、自主的に備えたもののようだった。
しかし小さな箱なのですぐにいっぱいになってしまう。

いっぱいになったなら、捨てに来て気付いた人が
リサイクル集積所に持ってゆきごみ箱を空けるか
ここはいっぱいだから、他のごみ箱に捨てると、私は思うのだが
誰も注意しないのをいいことに(?)
ごみ箱の脇に置く、という者が絶えなかった。

すると破れ窓理論のごとく
あっという間に給湯室がペットボトルと空き缶の山になる。

私はマイ水筒、マイカップ派で、
ミニペットも缶飲料もほとんど買わない。
関係ないといえばないのだけれど(もちろん掃除担当でもない)
善人ぶるようで嫌だなと思いつつも
生理的な嫌悪に負けて、
見苦しさの度が過ぎると、時々捨てるようにしていた。
イヤミっぽく・・・。

そういったことが何回かくりかえされ
しかし、全く改まる気配はなく、
私もさすがにカチンときて
フロアの全員にメールを打った。
職位的に何の権限もないし、全くの独断である。

「給湯室のゴミ箱を廃止します。なぜなら・・・
・・・もしゴミ箱が必要という方がいるなら
ぜひ清掃係になることを申し出てくれませんか」

何の反論もなかった。
お前何様だ、余計なことだろ、くらいあるかもと思っていたのだが。
しかし一方で、僕もあれはまずいと思ってました。賛同します・・・
という人が数人、メールをくれた。

◆◆◆◆◆◆◆◆

また、こんなこともあった。

ある日、いつものように
マンションのゴミ集積所にゴミを持ってゆくと
フェンスで囲われた集積所が、
異常な量のゴミでいっぱいになっていた。

数日前、引っ越しをしている部屋があったことを思い出し
その住人が出したものであるのがわかった。
しかも、それは可燃物と粗大ゴミが混入したもので
捨て方に問題があるのは明白だった。

さすがにこのままの状態で、
清掃車(局員さん)が親切にも分別して
可燃物のみ持っていってくれるとはとても思えず
「くそ・・・しょうがないな」と、
わたしのできる範囲でゴミの分別をした。
「おれはバカかもしれん・・・」と思った。

可燃物と粗大ゴミを適度に分けた後、
粗大ゴミを何週間も放置されたらたまらないので、
マンションの管理会社にメールをした。
管理会社は時々しか見回りに来ないのだ(不景気になってから特に)。

******************************

担当者殿

いつもお世話になります。

早速ですが、
本日、当マンションのゴミ捨て場に
退去者が出されたと思われる
廃棄品が大量に出ておりました。

可燃物であれば量があっても、回収されると思われますが
明らかに粗大ゴミの混入(衣装ケース、扇風機!)があり
このままでは、区の清掃車は引き取らないでしょう。

放置されると、私も含め
入居者の日常のゴミ排出に支障がありそうです。

お手数をかけて恐縮でありますが、
早急に現状をご確認いただき、
しかるべき対処をしていただけないかと思い
メールいたしました。

以上、よろしくお願いいたします。

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それから1週間ほど後、
ゴミの山はきれいになくなった。

◆◆◆◆◆◆◆◆

私の職場のモラルが低い、住人のモラルが低い、
ということを言いたいわけではない(まぁ、アタマには来たが)。
もちろん、俺って偉いだろと
自慢したいわけでもない(ん、でも少しあるかも・・・てへ)。

むしろよくあるようなことではないかと。
職場、家の近所、繁華街などで。
そして、多くの人が「誰かがやるのだろう」、
「自分は関係ないし」と思い、無視するのが普通なのだろう。
そういう自分も、前はそうだった。

荒れるままで、でも誰も何もしない。
管理者(会社なら総務課、地域なら区役所など)に
文句言うのはまだましなほう・・・。
大半は無視している(気にならない?)のだろうか。
手を出し始めたらきりがないのも事実だ。

いまや、人手が潤沢な組織、団体は希少で
手がそう回らないかも、という想像はできる。
しかし、「じゃあ私がやろう」という人は少ない。
また、愚直な、良かれと思ってという(もしかして独善的な)正義感が、
越権と取られたり、こじれれば訴訟沙汰。
逆切れされて刺されることだってある今の世だ。

賢い「護身術」として「見なかったことにする」というのも、
あながち間違いだとは言い切れない。

◆◆◆◆◆◆◆◆

去年から今年にかけて、
ちょっとグレたというか、捨てたというか、
気になることがあっても「もういいか、どうでも」と
無視するようにしていたことが多々ある。

しかし、偶然ゴミ問題に遭遇する例が続いて(・・・もしかして必然?)、
やはりおれは逃げられないのかな、と思った。
気付いてしまうし、気になってしまう。どうしても。

気付くことがなくなった時は、
それは「関心がなくなった、見限った」ということでもあり、
それは「そこにいる意味はもうない」ということになろう。

気付くということは、直接であれ間接であれ、
「お前は関与しろ(必要だ)」というメッセージなのだ、と思うことにした。
独善の押し売りと思われようとも、だ。

ゴミが落ちているのに気付いたら拾う。
書架が乱雑になっているのに気付いたら整理する。
手つかずの課題に気付いたら、やりましょうと言う。
自然とそうするかしないかの差は、実は相当大きい。

そう。「できるできない」という能力の問題ではなくて
ましてや「損か得か」でもない。
「するかしないか」という意思の問題なのだ。

意思で決めたときから、
未来は変わりはじめるのものなのだ・・・きっと。

菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

お願い

ここに記されている内容は、ウェブマスター藤川の個人的な意見や感想です。
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