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希望のつくりかた
〜絶望へ向かう羊の群れにならないために〜

2012年1月




年末年始の長い休みは
「積ん読(つんどく)」消化の絶好期であるが
今回の成果はいまひとつだった。

坂の上の坂(藤原和博著)
知的複眼思考法(苅谷剛彦著)
カラダメネジメント術!(本田直之著)
下山の思想(五木寛之著)

Amazonの「ほしい物リスト」に
気になった本が山のようにある。
これを何も考えず買うとお金がいくらあっても足りない。
なるべく我慢するようにしているが。

いまだ本は好きで読む。
しかし何が書かれていたかを
実のところほとんど、薄ぼんやりとしか覚えていない。
では、読んで何をしているのか?

内容を理解する、覚えるというよりは
読書を通じて自分がどんなやつなのかを確認・発見している。
そこで自分が何を感じるか、反応するかを楽しんでいる。
読書にはそういう効用(使い方)もある。

◆◆◆◆◆◆◆◆

子供のころ読書は大嫌いだった。
今となっては笑い話だが、国語が苦手教科で
試験で0点を頂戴したこともある。
真剣に臨んで0点というのは
なかなか出来るものではなかろう(自慢するな)。

本嫌いになった理由のひとつが「読書感想文」だ。
読書感想文という教育手法が
読書の好悪を左右するかという議論はあるが、
体験にもとづく仮説なのであしからず。

これも当然大嫌いだった。苦役以外の何もでもない。
読書感想文を「内容の評価」と解釈した。
評価には内容、つまり作者の意図の理解が必要になる。
しかも「感動」しなければならないらしい。

頭が悪い上に、生来のひねくれ者。
作者の意図がわかるはずもない。
まして教育指導上好ましい「感動」なぞ・・・。
読書=作者の意図の「模範的」理解の強要。
この公式が刷り込まれて成長すると
読書嫌いな大人ができあがる。
それがわたしである。

◆◆◆◆◆◆◆◆

しかし、この呪縛からの解放は簡単である。
「そんなの関係ね〜♪」だ(古い?)。
筆者の意図を無視すること。

そんなことしていいのか?
いいんです。本は買った人のものである。
煮ようが焼こうが好きにしてよい。
「イイね!」も「カチンときた」も「つまんね〜」も
読み手が何を得るかは自由だ。

本を出した人が、からずしもエライ人、すごい人ではない。
間違えてることも、無茶な論旨もある。
作者に合わせる必要はない。
そもそも「頭がいい=伝えるのが上手い」ではない。
内容は(たぶん)すごいのだろうけど、全然伝わってこない。
そういう本もある。
もちろん読み手の力量不足で消化できないものもある。
それはそれでしょうがない。

そう思うようになったのはこの数年だ。

この年齢になると、教育で受けた規範が
無自覚な制約になっていると気付く事が多い。

未熟なうちは型が必要だが、いつかその型を
成長のために自分で外すべきときがくる。
「守破離(しゅ・は・り)」である。
でもそれを理解している人はどれほどいるだろう。

日本人は傾向的に生涯「守」のままな人が多いと思う。
換言すれば「まじめ」、「いい子」。
親に教師に言われた事をそのままずっと守る。
それが生き方の苦しさ、つまらなさになってはいないか。
もしくは反動で極端な反社会的、非人間的行為に
走ったりするのではないか。

◆◆◆◆◆◆◆◆

コンプライ云々とかガバナ云々といった管理強化が
組織運営に強く求められるようになった。
「・・・せよ」もしくは「・・・してはならない」
という指示命令で、組織人たらしめようとする。

規則で、未熟でお行儀の悪い社会人を誘導し正す。
そういう人間が少なくないという実情があり
仕方がないことかもしれない。

だが、企業は自分で考え行動できる
「大人」の集まりなのではないか。

よく考えてみて欲しい。
これは社員を「大人」扱いしいないということだ。
「馬鹿にするな」と怒るべきことだ。
だが、そういうことはほどんど起きない。
スミマセンその通りです、ということか。

会社の始業と終業時に学校と同じ「チャイム」が鳴る。
これを不思議と思わないことが怖い。
「チャイム」に合わせて行動することに疑問がない。
パブロフの犬ですか?

わたしは、この「チャイム」が嫌いだ。
どうにも馬鹿にされてるように感じる。
親切といえば親切なのか。
もしかしたら「チャイム」は
潜在意識に埋め込まれた学生の時の従順さを呼び起こして
マインドコントロールしているのかも。

世界は陰謀に満ちている・・・なんてな。

◆◆◆◆◆◆◆◆

この国では、羊の群れの如く、
唯々諾々と従うのが「大人」なのだろう。

しかし、様々な既成概念と
それへの従順さ・きまじめさが
閉塞感の元凶であることを知るべきだ。

暮れのTV番組で、北野武さんが
大学をやめようかと悩んでいたときのことを語っていた。
公園で「大学をやめよう」と決めたとき
空の色が明るくパァーと変わって見えたと言った。

閉塞感は結局自分が作っている。
逆に言えば、希望は自分で作れるのだ。

読書嫌いが大袈裟な話になってしまったが、
一事が万事。

3.11は、日本人よいいかげん
「守」から出なさいという
「破」の意味なのかもしれない。
ここからまた「守」に戻ってしまうのか
それとも「離」に行けるのか。

この数年が分かれ道だ。



菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

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ここに記されている内容は、ウェブマスター藤川の個人的な意見や感想です。
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