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正解のない世界を生きる
〜答えを求めてさまようあなたに〜

2013年5月



少し前の話題。
最近の学校の教科書の内容が、どうも自分が
子供のとき(四半世紀以上前...)のそれとだいぶ違っている
というニュースがあった。

鎌倉幕府はイイクニ?イイハコ?変わる教科書
1192(イイクニ)つくろう」。
語呂合わせでおなじみだった鎌倉幕府成立の年について、
近年有力な1185(イイハコ)年など
六つの説をまとめて紹介する高校教科書が、来春から登場する。
学説をこれほど並べるのは異例で、
文部科学省の担当者も「いままで見た記憶がない」と驚く。
古代から中世の歴史は学説が動くことも多く、
教科書の記述も「ゆるめ」になっているようだ。
(2013年3月27日付 読売新聞)

年号の語呂合わせの代表格とも言える
鎌倉幕府成立がいつのまにか変わってしまったらしい。
イイハコ・・・「ナイスボックス・カマクラバクフ」ですな。
これはラジオで中西哲生さんが言っていた受け売り。
車で聞いていて思わず吹いてしまった。

◆◆◆◆◆◆◆◆

そのほかにも、
大化の改新 → 乙巳(いっし)の変
大和朝廷 → 大和政権(またはヤマト政権、ヤマト王権)
日本最古の貨幣:和同開珎 → 富本銭
鎖国 → 「鎖国」の記述は削除
仁徳天皇陵 → 大仙古墳
士農工商 → 取り上げられなくなった
聖徳太子 → 厩戸(うまやど)皇子
などなど。

呼称が変わるのはまだいいとしても(良くないか?)
鎖国も士農工商という身分制もなかった、と言われてしまうと
さすがに「えっ?」となる。
自分らが覚えてきたことは、いったい何だったのかな、と。

時代々々の教科書は、
その時点で「確かと思われる説・解釈」で記述されるので
経時で変わることはさもありなん。
しかし、それをありがたく拝受するしかない身としては
納得しがたい。

薬の効能書きよろしく、
「歴史解釈は論説により変化します。
学習にあたっては、その点を考慮し、
諸記述を盲信しないようにご注意ください。」
くらい冒頭に書いて欲しいな。
もっとも、そんなことを書かれたら教員もやりにくいだろうし、
誰も覚えようとしなくなるかもしれない。

◆◆◆◆◆◆◆◆

歴史に限らず、世の一般についても
こういった「常識が変わってしまう」事象は少なくない。
常識とは、広く知られるようになり、
受容された、ある個人が生んだ解釈・定義でしかないということだ。
どんな大天才、大思想家も、人である以上「バカの壁」から逃れることができない。
もちろん、起点は個であっても、
それが多くの研究者の努力によって補強がなされ、
限りなく「正しい」説になっているものもあるだろう。
しかし、人間を越える存在が発行した「保証書」がないことには変わりはない。

だから、なにもかも無意味だと言うつもりもない。
世界は、そういった「不確かかもしれないが有用なこと」で
成り立っている、という話である。

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まだ「正解」のようで、実は賞味期限が過ぎている「常識」が
見渡すと結構あるように思える。
時代の変動期であろう昨今においては、
その新陳代謝の激しさは想像以上のようだ。

常識を疑え。
常識を捨てろ。
常識に捕われるな。
などを題した書籍がたくさんある。
そういう書名に、わたしは引き寄せられやすくて
読めば、なるほど、と感心し、そういう思考をしたいなと思う。

しかし、一方で常識の否定には、なぜか「後ろめたさ」がある。
考えるに、世の常識には道徳・礼儀・倫理などの社会規範が
セットで付いていることが多いのだ。
よって、常識の否定=規範の否定、になる場合があり
それが「後ろめたさ」になるのだろう。

常識のない人、と言えば
けして褒め言葉にはならない。
その誹(そし)りを受けたくないと思うのも、人情である。
だからといって、常識に従うだけの人生はあまりに息苦しい。

◆◆◆◆◆◆◆◆

しかるに、常識と規範を
いったん分離して考えるのがミソなのか、と思う。
とんでもない思い付きは規範と一体で考えると、
その実現可能性は限りなくゼロになる。
世をあっと言わせるようなアイディアは
規範をいかにクリアするかが
突破点になるのではないのか。

人間が考えることの「9割9分以上」が
4世紀くらいまでに一度は考えられているという説がある。
とんでもないアイディアも残念ながら
あなたが考える遥か以前に、他の誰かが考えている。
だからといって、がっかりする必要はない。
あとは、規範という壁をどう乗り越えるかに知恵を使うだけだ。
しかし、多くの人がここで引き返してしまうのだ。
「出来っこない・・・・」

アインシュタイン博士は、
「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである。」と言った。
18歳という意味は、生まれ育った環境、
学校を出るまでに覚えたことを指すのだろう。

学校教育はナンセンスということではない。
教育は軍事、医療とならぶ近代国家の根幹であり、
学校教育は全体の底上げという意味では大変有用だ。
しかし、その副作用が「正解渇望症」とでも言うもので
テレビのクイズ番組に人気があるのは
正解のない現実世界へのフラストレーション?を
まぎらわす代償行動なのかなとも思ったりする。

◆◆◆◆◆◆◆◆

私の住む街に、故岡本太郎氏の美術館がある。
若い人は知らないかもしれないが
1970年の大阪万博のモニュメント(太陽の塔)の制作や
「芸術は爆発だ!」というメッセージで
一世を風靡した芸術家だ。

以下は、氏の著書の一節だ。
他の本は処分してもこれは長く手元に置いている。
20年以上前に書かれたものだが、今読んでも刺激を受ける。

 この世の中には、完成なんてことは存在しないんだ。
 完成なんてことは他人が勝手にそう思うだけだ。
 世の中を支配している"基準"という、
 意味の無い目安で他人が勝手に判断しているだけだ。

 ほんとうに生きるということは、
 いつも自分は未熟なんだという前提の元に
 平気で生きることだ。

*自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)より

完成を正解、基準を常識に置き換えて読めばドンピシャだ。

さらに「未熟であること」について
マクドナルド創業者であるレイ・クロックは言う。

 未熟なうちは成長する。成熟すればあとは衰えるだけだ。

正解が用意された世界とは、「あとは終るだけの世界」。
どうしたらいいのか分からない世界は、成長の可能性が広がる世界。

正解のない世界とは、
実は希望にあふれる世界のことなのだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆

最後に、人の可能性を示唆する
面白い話を知ったので紹介したい。

19世紀のエスキモーは
氷の上で、なんと裸で寝ていたそうである。
しかし現在のエスキモーが同じことをすると
すぐに凍傷になってしまう。
何がきっかけで、エスキモーは変わったのか。
文化人類学者が調査してみたところ意外なことがわかった。
それは西洋医学が導入されて、
「そんなことをしていたら凍傷になるよ」
と警告されるようになった時点から変わったのだという。

世界はあなたが見たいように見えている。
だから、見方を変えれば世界は変わる。

正解は自分の中にあるのだ。


菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

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