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「働かざる者食うべからず」は呪いの言葉
〜人間的に生きることを今一度考えたい〜

2017年1月




下記はある本で語られた「人のマネジメント(活用法)」についての一節。
なお、原文が長いので、適宜中略している。

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第一に、既に述べたようにいい働きにはきちんと報いることで、
これは何度強調してもしすぎることはない。
さんざん苦労したのに怠けていた者と同じ食事しかもらえないとしたら、
どんな者でもやる気をなくす。
彼ら一人ひとりに長期目標を持たせることも重要である。

第二に、役割分担を明確にするといい。分担が明確になれば責任の所在も明らかになる。
なお、彼らはグループで働かせると仕事が早くなり、集中するようになり、出来も良くなる。

管理人や作業長など、彼らの中でも上に立つ者たちには
特別な報酬を与えて士気を高め、いっそう精を出すように後押しするといい。

妻子を持てば腰を据えて仕事に取り組むようになり、
あなたの家の繁栄に貢献したいと思うようにもなる。
また彼らの立場にふさわしい敬意を示してやれば、心をつかむこともできる。

彼らが徳高く勤勉になるように願っていても、実際に彼らを働かせるには、
時には力づくでわからせるしかない場面も出てくる。
反抗的な者に理屈は通じないし、動物と同じで鞭を使わなければ
態度を変えさせることはできない。
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あなたはこれを読んでどのように感じただろう。

この本のタイトルは「奴隷のしつけ方(太田出版刊・マルクス シドニウス ファルク著)」という。
引用にて「彼ら」「者」とした部分は、原著では「奴隷」となっている。
ちょうど一年前、アイドルグループSMAPの解散騒動について、この本を引用した論評があり話題になった。
「奴隷のしつけ方」は、架空の古代ローマ人(マルクス シドニウス ファルク)が
奴隷の管理方法を語るという体裁をとっている。
史実をネタに、話を「盛っている」感は否めないが、なかなか興味深い内容だ。

人のマネジメントは数千年前も今も、本質的に変わらないのだろうか。
しかし、これは「奴隷」についてである。

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ここ数年、いわゆる「恒常的な長時間労働(遵法・違法問わず)」をはじめとする
黙認・黙殺されてきた様々な日本の労働慣習、商習慣が
見過ごせない社会問題として大きく扱われるようになってきた。
いわゆる「ブラック」な会社・団体での恣意的で杜撰な労務管理の下で
心身を損ねる人が後を絶たず、もはや一部の特殊な例ではないと。

と書きながら、「何をいまさら・・・」と思うのは私だけはないだろう。
これは昔から見て見ぬ振りされてきた「勤め人あるある」のダークサイド。
「綺麗事だけじゃ世の中渡れねぇーんだよ」。
「あのさぁ、いちいち法律守ってたら会社潰れんだけど」。
「黒を白と言いくるめるのが正しい組織人」。
「休んだら損害賠償もんだよ、責任取れるの?」。
「いやなら辞めてもいいよ」。

そういう暴言を前に、正論を振りかざしたところで結局損するのは自分。
口を噤(つぐ)んで唯々諾々とするのが賢い大人。
働くとはそういうことなんだ、と。
働くとは、自分(の心)を殺して命を切り売りした対価を得ること。
給料は我慢料。自分の好きなことで食うなんぞ、甘ったれた考えだ。

そういった勤労観・就労観が、日本にはまだまだ根強く残っている。
高度成長期を最前線で仕切ってきた成功体験(「鬼十則」みたいなもの)を
正しいと信じている人間と、それを「仕方がない」こととして
受け入れる人間がいる限りはなくならないだろう。

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ところで、働くことを意味する言葉に「労働」と「仕事」がある。
この違いをご存知だろうか?

その明快な答えが、約60年前の著作にある。
ドイツ出身の哲学者ハンナ・アーレントによる「人間の条件 」。
やや難解な本なので、もし読むなら
その解説本(「ハンナ・アーレント」現代書館刊・ 杉浦 敏子著)の方がまだ読みやすい。
(それでも慣れない言い回しが多いけど)

アーレントは、その思索において
人間の生活を「観照的生活」と「活動的生活」とした。
前者は永遠の真理を探究する哲学者のそれであり、
後者についてはあらゆる人間の活動力を合わせたもので
そこには「活動」、「仕事」、「労働」がある。

簡単に言うと、
「活動」は、自発性をもった、純粋に好きでおこなう行動。
「仕事」は、報酬が理由であっても、強制ではなく職人的な気概と誇りをもってやる行動。
「労働」は、生きるために仕方なくやる行動。作業や処理、苦役に従じるイメージ。
そして人間の行動として、活動>仕事>労働、の順に質が高いものとし、
さしあたっては、苦役である労働を仕事に変えていかねばならない、とした。

古代ギリシャ、ローマ時代、「労働」は奴隷が担い、
「活動」ないし「仕事」は自由市民が行うことであった。
しかしとりわけ産業革命以降、経済が社会の中心活動になるとともに
多くの人々は1日の大半を「労働」に費やすように。
いつしか「人間の本質は労働をすることにある」となった。
これは人間の望ましい姿なのか。
人間らしくあるためには「仕事」と「活動」と「労働」とが
バランスよく保たれている必要がある、とアーレントは考えた。

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働かざる者食うべからず。
子供の頃、だらだらしていると親から小言として言われた。
きちんとできない子は、立派な労働者になれない。
労働ができない=食べる資格がない、という教育的恫喝?だ。

何か道徳的な格言かのように、思われているが
調べると、元はレーニンが社会主義を実践する上で
守らないといけない掟として使った言葉だという。
もともとは社会主義体制下で有効な理屈である。

日本国憲法では、たしかに国民の三大義務に「勤労」があるが、
自由・民主主義に依拠する国の憲法に
勤労が国民の義務として規定されているのは異例だという。
確かによく考えると、国の運営には資金源としての「納税」があればよく、
それが何によって生じるかまでを規定する必要を感じない。
「勤労」が「納税」の拠り所である必然がない。

はるか昔、生きるために人は自分で自分の食料を確保すればよく、
食が足りれば、あとは寝ていようが遊んでいようが自由で
他の誰かから「食料確保」を強要される言われ(道理)はなかったはず。
ここで食料確保は労働ではないのか、という疑問が浮かぶが
労働と呼ぶには「指揮命令」が要件として必要になる。
単に食料確保の必要が生じたので「行動」したというだけである。
やりたくなかったら、ひもじくても我慢すればいい。義務ではない。

ちなみに、戦前の憲法(大日本帝国憲法)での義務は
納税と兵役の2つであった。
戦後新憲法で戦争の放棄を記す以上、兵役はありえない。
代わりに何かないか?ということで「勤労」が上がった。
戦後復興において「労働」は重要な資源であるので、国民啓蒙に好都合じゃないか。
などという想像をしたが、どうやら当時の政治イデオロギーの争論を
官僚が苦し紛れにまとめた「妥協の産物」が正解のようだ。

本来であれば「労働の権利」だけでいいものを
一部の思惑によってスターリン憲法の思想の一部が取り込まれ
「勤労の権利と義務」という趣旨不明で、
都合でいかようにも解釈できる玉虫色規定になった。

憲法論議は、ややこしい側面も多く、あまり深入りしたくない。
憲法は、賢人たちが整然としたロジックと哲学の上に考え
構築したものだ、と勝手に(期待を持って)思っていたが、そうでもないらしい。

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日本の「働き方」を取り巻く状況、
つまり働くことを過大視するような価値観(労働=生存)は
憲法の「国民の義務」を錦の御旗に
国や資本家・経営者(資本主義経済)の思惑と
「勤勉(であれ)」という国民性(道徳的規範)が密着し結合した結果なのだ。

なので、日本の労働慣習(またそれを形作る商習慣)を変えようと思うなら
ここに切り込まないと、表層的な変化で終わるだろうと思う。
まずは「生存」と「働く(労働)」を切り離して成立するようにする必要がある。
それができなければ「労働者」は「奴隷」と同義のままだ。
指揮命令に従わなければ、それは「死」を意味するという環境が
どうして「人間らしい生き方」になるのか。
「働かざる者食うべからず」はまさに呪いの言葉である。

大昔(それこそローマ時代)なら、人でないと出来ない労役がほとんどで
生活インフラとしての労働者(奴隷)が「必要悪」だっただろう。
しかし、これからはそういった部分はAIやロボットを駆使した
テクノロジーで置き換えできるはず。
AIやロボットが仕事を奪うという「脅威論」があるが
「生存」と「働く(労働)」の分離が行われ
「生存」が別に担保されれば(例えばベーシックインカム)、反対者はいなくなると思う。

ベーシックインカム論は、その原資が疑問視されるが
つい先日、世界富豪トップ8人の資産が貧困層36億人分と同じ、という記事があった。
あるところにはあるのだ。あとは再配分のしくみの問題だ。

そんなことをしたら、みんな怠けて働かなくなって
それこそ「亡国の道」だ、という意見もあろう。
いやいや。このままでもう既に亡国という棺桶に片足突っ込んでますよ、日本は・・・。

付け加えるなら、そこに「教育」の意味があるはず。
戦後以降の日本の教育は「立派な労働者」にするためのもの。
「生存」と「労働」の分離が実現できた後は
生きてゆく上で「怠惰」がなぜダメで、ならばどう生きるべきなのかを
新たな価値観の上で教えてゆけばいい。
教育の話は長くなるので、また別の機会に・・・。

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日本の「働き方」を変えるには
「労働」という概念を人間活動から葬り去ること。
それが唯一にして最大の要諦。

とは、言うものの一足飛びにそこには行けない。
さしあたっては、「労働」に費やす時間を減らして行くのがいい。
日本企業での週休2日制は、1988年改正・1997年に完全施行となった
労働基準法第32条によって実現できた。
(ただし「三六協定」が抜け穴になって、それが様々な問題の原因になっているが)
それを推し進めて、週休3日制とか週休4日制とか。

当然そのためには生産性を上げる知恵や
思い切った決断が求められるだろうが、
日本人得意の漸次改善でもなんとか出来るのではないかと。
24時間営業や正月営業といった商習慣を見直す動きも出てきている。
実効性は疑問だが「プレミアムフライデー」とか。

「そんなことになったら、休みの日にすることがない」。
もしあなたがそうであるなら、重篤な「社畜」状態だ。
ちなみに「奴隷」は始終労働のみだったと思われがちだが
「余暇」や「祭りへの参加」なども認められていたそうだ。
そう、誠に申し上げにくいが「社畜」は「奴隷」以下。

「労働」以外の時間を「休息」や「享楽」だけで終わらせず、
夢中で打ち込める、楽しめる何かを探すこと。
個人としてやるべきは、まずそこではないかな。
今年の抱負がまだであるなら、それをオススメしたいと思う。

ということで、本年もよろしくお願い致します。



菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

お願い

ここに記されている内容は、ウェブマスター藤川の個人的な意見や感想です。
帰属する企業、立場での見解ではありません。ご了承のほどお願い申し上げます。

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