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人生の出口戦略
〜日本の老後は惨めで卑しい災害対策〜

2017年5月




20年ぶりに私の職場が移転することになった。

現所在地(横浜市都筑区)は今でこそ、
戸建て住宅や大きなマンションが建ち並び
立派な郊外の住宅地になっているが
この地に来た20年前は、文字通り何もなかった。
写真は社屋建設当時の様子。
周囲は延々と広がる大規模造成地しかなかった。
ちなみに奥の森林は後に横浜国際プールになる場所。



かつてこの横浜市北部の山岳地帯は、
「横浜のチベット」と揶揄されるような場所で、
主要鉄道の駅から遠く、かつバス路線も少ない「辺境の地」。
冬の終業時間ともなると、街灯や家灯りがないので辺りは真っ暗。
闇から魑魅魍魎(ちみもうりょう)が出かねない様であった。

さて、今回の主題はそういった思い出話ではない。
ひさしぶりの「引越し」ということで
否が応でも大量の「モノ」の処分と向き合うことになり、
そこから考えさせられた「人の終わり方=老い」である。

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実に20年ぶりの引越しである。
そして、移転先の保管スペースの余裕度がないため
極力、保有書類や備品を減らせというお達しがあり
目下、職場は片付け作業で大わらわである。

個人の家でもそうだが、引越し準備が始まると
どこに収まっていたのかと不思議に思うほど
大量の物品が出てきて、唖然としてしまうもの。
特に困惑するのは、「これは先々使うものなのか?」
と思うような古い備品や書類が、
意味ありげに丁寧に保管されていることである。

会社の場合、保管期限が定められた文書もあるので
一概に断ずることはできないが、
今回の引越しでの保有物品の精査の結果
7割以上が「不要」として処分されることになった。
もし、今回の移転がなければ、これらはあいかわらず
オフィスの中に居座り続けているのだろう。
そういう点では、引越しはいいきっかけだ。

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日々をなりゆきで過ごしていると、
(「ルーティーン」と言ったほうがいいかな...)
要不要問わずモノは増える一方である。
なので、適時「棚卸し」して処分するなり、適正化できればいいのだが
一般的に実行されるケースは少ないと思う。
なぜなら、そのままでも「少なくとも今の自分は」困ることがないから。
困ることがあるとすれば、それは未来のどこかの時点で
この会社に属した誰かにとってである。
まあ、それが自分であることも・・・ある。

「出口戦略」という言葉がある。
もともとは、ベトナム戦争時に
アメリカ国防総省内で使用されたのが始まりだという。
後に、経営用語に転用され、企業活動の撤退時に
経済的損失を最小限にする方策の意味に用いられるようになった。
平たく言えば「終わらせ方」である。
今回の移転準備で思うのは、
私たちは「始めること」や「手に入れること」には熱心だが
「出口戦略」をほとんど考えていないようだな、と。

以前『「片付け」はなぜ気持ちいいのか』というトピックで、
人は物質的な多寡と多幸感(裏返せば喪失の不安)を結びつける呪縛から
なかなか抜け出すことができない。
ましてやそれが「遺伝子レベル」で刻まれているとするなら
その克服はかなり困難だろう、と書いた。
「捨てる」もしくは「終わらせる」という概念が
人の心性に、そもそも馴染まないのかもしれない。

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人にとっての終わりは「死」だ。
おぎゃあ、と生まれた時に「死に方」を考えるやつはいないが、
そもそも、いつ死ぬかもわからない。だが、人の死亡率は100%である。
この辺りが、ことを面倒にしている。
しかし、いつまで生きられるかわからないから
生きていられる、というのもあろう。
もし自分の死亡日が事前にわかってしまったら
その日を迎える恐怖に耐えられないかもしれない。

このところ流行りの造語に「◯活」というのがある。
◯には活動目的となる事柄を入れて
「婚活」「就活」「妊活」などと使うが
人生の終わりに向けた後始末?として「終活」というのもある。
「立つ鳥跡を濁さず」的に、きれいに死ぬための準備。
若い時はそんなこと微塵も考えなかった(まぁ、それが普通)。
しかし、コップの残りの水が半分を過ぎた自分としては、
視野に入れざるをえない。
とは言うものの、差し当たって何をすればいいのか。

いまは幸いにして、老いに関する情報は
調べれば様々な形で入手することができるが、
印象としては10割ネガティブな話である。
老いて良いことなどひとつもない。
「終活」という言葉の違和感の根っこにはそれがある。
「婚活」「就活」「妊活」は、その結果として
良いことや楽しいことがある(本当にそうかは異論もあろうが)。
なので、面倒でも頑張ろうかなと思える。
一方「終活」の結果は、自分が知ることはない。

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その効用を言うなら、
準備があれば「その日」が来ても慌てずに済むので
当面忘れていい=気が楽になる、という話なのだろう。
しかし本当に重要なのは「その日」ではく、そこに至るまでの日々だ。

たとえばこんな本を読んでみた。
「絶望老人(新郷 由起著/宝島社刊)」。

帯にこうある。
長すぎる老後は生き地獄だった。
「貧困」「無縁」「独居」- 35人が語る老後のリアル

読む前から、憂鬱になりそうな本だ。
内容は、非常に仔細に取材されたルポルタージュで、
危機を煽ることが主眼ではないと思いながらも
直視には胆力が必要な話ばかりである。
これが日本の老後の全てであるなら、希望はゼロである。
元気なうちに、生き地獄を味わう前に
とっとと死んでしまった方がいいとしか思えない。

現実、様々な理由で、困窮している高齢者は少なくない。
日本の人口動態予測に沿えば、それは増える一方だろう。
なので、その実情が社会問題として広く知られる必要はあろうが
いまは「狼が来るぞ」という語り口ばかり。
まじめに向き合うほど、どんどん辛くなるような構造にある。
現在の老後問題の設定は、災害問題(対策)と同じ切り口なのだ。
だから読んでいると鬱々としてくる。
地震対策、水害対策マニュアルを読んで楽しいはずがあろうか。
必要なものではあるけれど。

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老いは災禍である。
この発想が根底にある限り、
老境を積極的に受け容れる思考を持つことは難しそうだ。
ん〜何か、認識の転換はないか、と考えていたら
少し昔になるが、こんな本があったのを思い出した。

「老人力(赤瀬川 原平著/筑摩書房刊)」

先に断っておくと、けして学術的な論考ではない。
物忘れ、独り言、ため息など、
ボケや耄碌(もうろく)として忌諱されてきた老人の言動を
未知の「マイナスパワー」として肯定的に定義しようという無謀?な試みである。
発刊当時は社会現象として流行語大賞候補にもなった。

などと書くと、いかにも意味ありげだが
読めばわかるが、真面目半分、冗談半分である。
例えば、物忘れ。
生きてゆくと、忘れてしまいたいことも起こる。
「忘れろ!」と言われて、そう出来るものではない。
しかし、老人力が高いと、簡単にそれが出来るようになる。
というような話が、様々な方面に展開される。

悪ふざけだ、と言えばその通りなのだが
当時も「思想上のコロンブスの卵」と評されたくらいに
皆をハッとさせたリフレーミング発想であったのも事実。
悲観的な見方が蔓延する現状とこれからにも、
一石を投じるような新しい概念が再び欲しいところだ。

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赤瀬川氏は「老人力」のなかで、
明治生まれの人のカッコ良さは「命を張って生きたことから生じる気品」に
あるのではないかと書いていた。
気品ある存在としての老人。
気品は一朝一夕に身につくものではない。
生きた時間の質を「佇まい」として持った老人は素敵だと思う。

人生の出口戦略として、
墓がどうだとか、財産分与がうんぬんという事務事項も大事だが、
自分がどういう年寄りになりたいかのかが最重要。
それは若見えとか、年齢不相応に強靭な体力とか
ではなくて(まぁ、それも欲しいけど)、
「気品」をどう獲得するか。

そのために、これから何をどうした方が望ましいのか。
それこそが老後設計のコアなのではないのかなぁと。
今はカネ勘定に傾きすぎだからツマラナイ話になっている。
逆に語るべき内容がないから、カネの話しかできないのか。
「惨めで卑しい」というのが今の日本の老後を語る体だ。
それが私を憂鬱にする。

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理想的なおじいさんの姿だと、今も思うのは、
「男はつらいよ」で帝釈天の御前様(住職)役をした
笠 智衆(りゅう・ちしゅう)さんだ。
黒澤明監督が1990年に制作したオムニバス映画「夢」の中の一篇。
「水車のある村」で、笠 智衆さん演じる103歳の爺様の台詞を最後に。

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本来、葬式はめでたいものだよ。
よく生きて、よく働いて、
「ご苦労さん」と言われて、死ぬのはめでたい・・・
この村の者は、自然の暮らしをしているせいか、
幸いに年の順に死んでいく。

あんた、生きるのは苦しいとか何とかいうけれど、
それは人間の気どりでね。
正直、生きてるのは良いもんだよ。とても面白い。
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災害対策マニュアルだけでは、命を救うことができても
人間的に死ねる世はつくれない。




菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

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