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経済の奴隷
〜経済というバケモノといかに向き合うべきか…〜

2003年4月



遅ればせながら「千と千尋の神隠し」を見た。先にビデオで見て、そのつもりがなかったのだがテレビ放映も見てしまった。これをファンタジーというのかもしれないが、非常に不思議なアニメ映画と感じた。話の展開が読めない、見る者をグイグイと引っ張るストーリーの秀逸さに加えて、「不思議の町に迷い込んでしまった人間」という設定に興味を覚えた。そしてそこに現代への痛烈な批判を感じた。

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そう思って、宮崎駿監督の制作意図を調べてみた。「今日、あいまいになってしまった世の中というもの、あいまいなくせに浸食し喰い尽くそうとする世の中を、ファンタジーの形を借りて、くっきりと描き出すこと」がこの映画の主題でもあるとのことであった。宮崎氏は「世の中」と表現されたが、私はそれを「経済(カネ儲けへの傾倒・執着)」だと思った。経済に依存し過度に適応してしまった社会の醜い様、惨い様が、「不思議の町」に私は見て取れた。

経済の有用性を否定するつもりはない。しかし、近代経済から生み出された価値観が社会のあらゆる場面で幅を利かせすぎていることが問題なのだと思う。「経済的成否・利害が一番」であってそれ以外は価値が低い、認められないという人間観、人生観。そしてそれを肯定しその価値観に最適化された社会システム。いまだそのモノサシを(他に選択肢がないから?)握りしめたままだ。倒産、失業が人の死命に直結してしまう事態の急増がその証左だ。そんな世の中がまともと言えるのか。

映画の中に登場するカオナシという神(?)は、自分をもてなす者に黄金を与える。人々は我先にと馳走を持って群がり、やがてカオナシはぶくぶくと肥えた「バケモノ」になってしまう…。便利に使った、飼い慣らしたつもりが、手に負えなくなってしまった経済というバケモノ。経済学者やマスコミは、この不況を経済システムの不調・不具合として論ずるが、そこからは答が見えそうにない。

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経済学者である飯田経夫氏は著書の中で「知足(足るを知る)」をキーワードに、「国家百年の計のテーマは豊かさにどう耐えるかではないか」と述べた。この長いトンネルの出口は、神と思っていたものがバケモノになってしまったのだと見切れた時、「経済の奴隷」となっている己の姿とともに見えてくるのではないか。

菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

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