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テレワーク奇譚
〜コロナ禍が招いた大人の自習時間〜

2021年1月




2020年に始まったコロナ禍の出口が見えない。
去年の暮れごろから、また感染状況が怪しくなり、
それでも年末年始休暇で多少落ち着くのでは・・・と、誰もが期待しただろう。
しかし、それは見事に打ち砕かれた。
むしろ過去を凌ぐ危機的状況となり
2回目の緊急事態宣言発出となってしまった。

それにしても、対策が終始お粗末という印象は、一般人から見ても拭えない。
昨年の秋に出来たはずの備えを怠ったことが悔やまれる。
現場はできる極限まで努力していると想像する。
だが、リーダーや参謀の先行きの見立てや
方針が的外れだった場合、その努力は水泡に帰す。
このままでは優秀な現場の人材が犬死にしてしまう。

リーダーに求めらえる能力のひとつに
「最悪への想定(仮説思考)」がある。
しかし、最悪を想定すること自体が不吉なことだとして、
言葉にすることを嫌い、考えない「言霊思想」が日本文化に根深くある。
それが過去の様々な不測事態対処の醜態を招いたのではないかと、
小説家の井沢元彦氏は指摘していた。

仮説思考はビジネスでは基本の「き」であるが
彼の国のリーダーは「仮定の質問には答えない」と言い放った。
日本の緊急事態とは、実はコロナ禍ではなく
そういう人物がトップに立っていることを
指すのではないかと勘繰ってしまう。

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さて今回のお題は、この状況下で、
にわかに俎上に載った「テレワーク」である。

在宅勤務、リモートワーク、モバイルワーク、ワーケションなど呼称は様々だが
事務所など本来の職場以外で執務を行う遠隔勤務。
首都圏の一極集中弊害や「痛勤」電車等の解消案として
サテライトオフィスや時差通勤、勤務条件の柔軟化等は
昭和の時代から提示されながら、様々な事情・理由でなかなか普及しなかった。

日本におけるサテライトオフィスの草分けは
1988年、埼玉県志木市に実験開設された「志木サテライトオフィス」だという。
ちなみにそれは私がこの会社に入社した年である。けっこう古い・・・。
当時「新しい働き方の到来」という触れ込みでマスコミは報じたという。
その後バブル崩壊とともに、その機運は雲散霧消してしまった。
その頃は商用インターネットもなく、IT機器の性能も貧弱。
概念は良かったのだが環境条件が追いついていなかった。
オフィスコンピュータは「電算機(電子計算機)」や「文書作成機」であって、
まだ情報通信機器ではなかった時代である。

それから30年。情報通信機器やインフラは飛躍的に進化した。
かつての「出来ない理由」はかなり解消されているはずなのだが
あいかわらず都市部は「痛勤」電車で、同じような時間に
一斉にオフィス街に出勤する風景は変わらなかった・・・しかし。
パンデミックという外圧によって、ある時一気に実現してしまった。
多くの企業が出社率2割を目標にテレワークを(無理でも)実施した結果
道路は空き、電車乗車率は下がり、オフィス街は無人になった。
人の移動が減った結果の副産物として、都会の空が澄んだ。
「できない」のではなく、「(本気で)やらなかった」だけだった。

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その後、緊急事態宣言解除(1回目)とともに
「由緒正しい?会社の姿」に復元しよう(したい)とする反動が強く
相当数の企業が「原状復帰」に傾いた結果、
いつか見た日常に戻ってしまった。
突然強制されたテレワークを多くの人が体験した結果、
人によってその評価が大きく割れることになった。
「原状復帰」が多いという結果を見る限りは
テレワークの利点よりも弊害の声の方が強いのだろう。

テレワークでは仕事にならない---。

ライフラインや製造など現地で設備を使わざるを得ない仕事。
物品移送をおこなう仕事。
物販、飲食、医療や福祉など接遇必須の仕事など。
いわゆる「エッセンシャルワーカー」である。
そういった仕事は、確かに無理がありそうだ。

独立行政法人労働政策研究・研修機構の
職業別就業者数(2019年)によると全就業者は6,724万人。
12ある区分のうち、テレワーク対応できそうな職業として
仮に事務従事者と専門的・技術的職業従事者と見立てる。
事務従事者は26.7%、専門的・技術的職業従事者は18.8%。
*参照:職業別就業者数|早わかり グラフでみる労働の今

専門的・技術的職業従事者の中には
職場の設備環境が必須というものもあるだろう。
しかし全員が全員常時職場に貼り付く必要性は薄いと思え
仮に半数の9.4%が(もしくは交代で)在宅可能とすれば、事務従事者と合わせて36.1%。
テレワーク対象になり得るのは10人のうち3〜4人か。(かなり乱暴な計算だが)

そう見ると、目下2回目の緊急事態宣言において
「7割テレワーク」は、実情を無視した無理筋だ。
出来ないことを指示したところで、
結果(感染者減少)が出るのか疑問である。
出来ないことをやれ、という政府への不満はまっとうである。

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ここで考えたいことは、
情報通信インフラも十分実用レベルにあり
10人のうち3〜4人はテレワーク可能であるはずなのに、
なぜ出社勤務へ戻してしまうのか。

その答えとして、すでにいくつか論考がある。
就労規則が未整備で、テレワークはあくまで特例措置だった。
服務定義が内容ではなく、勤務形態・時間などの外形に重きがある。
社員間の処遇公平感を損ない和が乱れるのを恐れた。
経営者や幹部・管理職の頭の中が「古き良き昭和」のままである。
マスコミなどによってステレオタイプな就労観が一般に強く刷り込まれている、など。

また、テレワークでは生産性が低下するという意見。
パソコン等の道具立てや資料の未電子化の問題もあるが
暗黙に漂うのは「テレワークは怠惰(サボり)の温床」という見方だ。
その価値観は「小人閑居として不善をなす」という性悪説である。
品性の卑しい人が暇でいると、ろくなことをしない。
だからそういう者には常に目を光らせておくべきである。
確かにそれはそうだ。なぜなら品性の卑しい人だから。

企業でそれが正論とするなら
社員は小人ばかりだということになりはしないか。
小人の集まりが素晴らしい業績を上げることができるのだろうか。
テレワークが可能な条件を有していてもそれを認めないということは
当社はろくでもない人間の集まりです、と公言していることにはならないだろうか。

いや、逆に納得するか。「やはりそうだったか」と・・・

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これらはテレワークが「非」となってしまう「外因」であるが
一方、社員の側に「内因」はないか。

ここで、小学校時代を思い出してほしい。
ある日、教師が急な不在で自習時間になった。
そのときのあなたは、どのタイプの子供だったか。

友達とふざけや遊びに興じる子。
教科書の予習復讐をする真面目な子。
読書、絵を描くなど自分の好きなことをする子。
ただぼーっとしている子、など。
で、騒ぎ声が大きくなると、
隣室で授業中の教師から一喝が入るという・・・。
小中学校にありがちな風景。

しかし、よくよく考えてみると
自習の仕方は教えられた記憶があまりない。
今はちょっとわからないが
昔の義務教育は、他律性志向が強く
指導に従う素直な子供を模範としており
自律的思考や行動を身につける機会があまりなかったと思う。
義務教育は「やらされる」ことが主体。なにせ義務というくらいだから。
なので、よほど自覚しないと
自律性を十分獲得しないまま大人になってしまう。

つまり今の大人の大半が、
実は自律していないのではないか、と疑うのだ。
このことについては、過去にこういった記事を書いた。
*参照:自律への長くて遠い道(2004年4月)

自習の仕方を知らないまま、連日教師不在となり
いきなり始まった大人の自習時間。
それが今回の緊急事態宣言でのテレワークの実相だと思う。
準備も自覚・訓練もないままの実行結果。
むべなるかなというところである。

自習時間はいつも遊んでしまった。
夏休みの宿題が終わらず途方にくれた。
子供時代がそうであった人は、環境条件が揃ったとしても
テレワークは出来ないとあきらめた方が賢明。苦しいだけである。

◆◆◆◆◆◆◆◆

だが、そうは言っても、無理とわかりながら
テレワークせざるをえない人も多いだろう。
そこで過去の裁量労働経験を経て培った
テレワークを上手く乗り切る極意(!?)を
僭越ながら、3つ伝授したいと思う。

(1)テレワークの生産性は下がって当たり前と心得よ

どう頑張っても家が職場と同条件に整備できない以上
同じ方法論で(代替手法はしょせん代替)
同じパフォーマンスが出る道理がないことを直視する。
出勤できなければゼロだった成果が
在宅で1でも2でも進めば、それで評価すべき。
平時と同じ結果を求める方がナンセンスである。

(2)生真面目にスケジュールを詰め込まない

自宅にいると、どうしても仕事外の干渉が入らざるをえない。
なので、出社時のように生真面目に予定を詰め込むと
間違いなく積み残しが起きて、自己嫌悪必至である。
なので、(1)と同様に、邪魔が入る(効率が悪い)前提で
予定には余裕を織り込んでおく方が賢明。そこにおいて罪悪感は無用である。
夏休み初日に意気込んで作った
1日の予定表の結果がどうだったかを思い出そう。

(3)オンオフを切り替える工夫をする

出社なら通勤(移動)時間が、オンオフの区切りになるが
ハリウッドスターの大豪邸でもない限り
ステイホームでは、移動によるオンオフのメリハリがつけにくい。
なので、私の場合は始業の儀式として
ランプ型のアロマディヒューザと音楽ネットラジオを利用している。
嗅覚と聴覚の刺激が切替えの合図なのだ。
なおネットラジオは、唄ものだと歌詞を聴いてしまうので
ゆったりとしたピアノ曲がおすすめである。

また椅子を、仕事用と休憩用で分けるようにしている。
リクライニングできる高級デスクチェアで兼ねるという考えもあるが
コストの問題と、そういう椅子はサイズが大きいので邪魔になる。
私は以前買ったニーチェアエックスを休憩用として愛用中。
*参照:身の丈サイズという静かなるパワー(2004年8月)

折りたたみ式なので収納の場所もとらないので非常に重宝している。
椅子を変えることもオンオフの切り替えになる。

ついでながら、篭ると間違いなく運動不足になるので
朝でも夜でもよいから、ウォーキングなどの軽い運動を。
これも切り替えのメリハリになるとともに
人間は歩いているときの方が、(文字通り)前向きな思考がしやすいという。
ステイホームで思考が内向きになりがちなので、一石二鳥の効果がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆

私個人は「ビバ!テレワーク」派だが
テレワークにデメリット面があることは認めるし
万人に適用できないとも思う。
しかし、いままでの仕事の方法論や価値観の再確認
自律思考や行動を身につける良い機会になることは
自分の経験から間違いないと確信している。

なので、このコロナ騒動を災禍として悲嘆するばかりでなく
転んでもただでは起きない気概で
自分を変える奇貨として利用して欲しいと思うのだ。




菊水電子工業株式会社 ウェブマスター
藤川 貴記 webmaster@kikusui.co.jp

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ここに記されている内容は、ウェブマスター藤川の個人的な意見や感想です。
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